昨日前編の日記をアップしたところ、「陶器の湯たんぽがあったのですね」とお客様からコメントが入りました。
ご紹介が遅れました。
マアルスタート時からずっと多治見の窯元「弥満丈製陶所」さんから直送していただいている【陶器の湯たんぽ】。
もともとはこの写真にはありませんが、茶色のものを取り扱っていて、黄瀬戸が加わり、
さらにその後、
2011年の震災後に加藤さんが考案された「パッションレッド」「オーガニックホワイト」が加わりました。
この紅白の2色ができたことを説明してくださった時の加藤さんとの電話での会話を今も覚えています。
パッションレッド=情熱の赤で、どうかみんな元気を出してがんばっていこう。
「釉薬の関係で明るい赤を出すのはとても難しいことなんやけども、わたしら残ったもんが魂の火を燃やして元気出してがんばっていきましょうという色ができました。」
オーガニックホワイト=鎮魂と、浄化の意味。
「わしら人間の都合勝手で電気を使い放題にして、ああいうことが起きてるからね、胸が痛くてね、本当にごめんなさいという気持ちと、悲しいことになった方々に心から手を合わせる気持ちと、これ以上自然を我が物顔して使うことは致しませんという気持ちよね、それで白にしたんです」
加藤さんとの電話での会話(会話といっても95%私は聞き手なのですが^^; )から、
この陶器の湯たんぽは
色にしても、使う土にしても、膨大な知識とベースになるお考えのもとから生まれてきているのだなぁと推測していましたが、
実際訪れてみて、
弥満丈製陶所の空間は加藤さんの脳内に入り込んだような感を受けました。
さて
昨日の続きのレポートに戻ります。
こちらの建物は日干しした後の工程をするところ。
奥様がかき混ぜているのは釉薬です。
環境運動の話をしながら(常にいろいろとお話をし続けてくださる加藤さん)
中に入ると
アースデイのポスター!
マアルも毎年、代々木公園の「アースデイ東京に出ています」とお伝えすると、
また一気に話がそこで膨らみましたが
それより何よりこのポスター!
このポスター達、只者ではないぞ、、、首が痛くなるくらい天井から吊り下げられている年季の入ったポスターたちを眺めていました。
後で調べたら、これはやはり!磯辺行久という、1960から70年代にかけて活躍した日本のポップアートの先駆者。
アメリカの大学で環境計画などを学び、1970年のアメリカでアースデイが発祥した際にも大きく関わった人物だそうですね、
見れば見るほど、このポスターから50年経とうとしている今だからなおさら、この言葉達が突き刺さります。
50年前にもこんなにも地球の環境破壊に危機感を持って警鐘を鳴らしていたのに、、、
ふと、横を見ると加藤さんが、
このポスター達の下を見ろ、という感じでにっこりしました。
ん?
お!?
!!!
マアルから加藤さんにお送りした年賀状の一部を、工房の正面に貼ってくださっていました。
「櫻木さんには会ったことはなかったけれども、ずっと声を通して近況を聞かせてくれてたもんで、
変化するパッションを拍手するような気持ちで応援しとります」
涙。
親戚のような言葉をいただきました。
はじめて作った白島の店の写真。
春夏秋冬の写真も大好きで、「冬 雪の下」は陶器の湯たんぽのオーガニックホワイトと同じだとおっしゃってくださいました。
オーガニックホワイトの釉薬。
乾かした湯たんぽにこれら釉薬をかけ、
この大きなガス釜で焼くそうです。
昔はこの建物全体がこの釜だったくらいの生産量だったそうですが、今はご夫婦二人でやっていける量に抑えているそうです。
弥満丈製陶所さんは梅干しや漬物の容器も作っています。
うまい梅干しになるんよねえ、これが。とのこと。
来年は梅干し作りにむけ、これもマアルでもご紹介したいなと思っています。
「情熱を込めて、みなさんが元気になる湯たんぽを作っとりますから、それを金儲け主義の社会で叩き売りするんじゃのうて、
血が通い合う人たちの手から手へ渡してほしいと願っとる。
空気と水、土、木、
ご先祖さんからいただいたこの素晴らしい恩恵を、人が健康になるためのものに活かさずしてどうするやと思っている。
戦後、
モノを作れば売れる時代が来て(大量生産)
モノでないモノが物言う時代になってしまったけれども、
僕は、モノで物申す時代がいつか来るぞとそう思ってました。そういうモノを僕は作ってる。」
自然から生まれたものが、
お湯を注いで人を温め、免疫を高め、
中の水は腐らず、細かいまろやかな粒子になったぬるま湯となって翌朝の洗顔で清めてくれ、
暖をとるのに使えば電気やガスの使用量も減らせる。
横浜で冷えとりを始めた18年前に出会った陶器の湯たんぽがあまりに素晴らしく
お取り扱いのお願いをし、繋がったご縁。
陶器の湯たんぽは、弥満丈製陶所13代目 加藤さんと奥様の、熱い魂そのものでした。
大切に大切に、ずっと使おうと改めて思います。